CORONAKA
They Were Hiding All This
「気づいたらそれが新しいジョーシキになっていたかのように誰もが装おうのが日本のやり方で、移行の際はその話題に決して触れてはいけない。おっかなびっくりの移行は、そんな一言にびっくり仰天して、縮みあがって元の殻に衝と引っ込んでしまう。海の底の甲殻類の宿替えと日本人はよく肖ているのではないかとおもう。日本人はそっとしてくれと誰もが無言で世界に訴えかけるかのようだ。そっとしておいてくれれば、素しらぬ顔をしてさへしてくれれば、どれぐらいの時間がかかるかは判らないが、互いが互いを窺い、そっとそっと宿替えに歩き出して、気がついたら、そんなことありましたっけ、言いましたっけととぼけまなこで、違うことを誰もが一途言ってきたかのような状態を作る――それがわたしの半世紀以上の日本人観の一つである。独立系インターネット・ニュース・メディアの界隈では、殆どの日本人が過去五年の武疫(WUHAN VIRUS)のストーリーを否定しているかのように誤って伝える向きがある。事実は真逆だ。日本では、マスコミ、市民、大人、子供、老人から若者 — — — 。今や世界の多くの人たちが嘘だったと認めている、武疫(WUHAN VIRUS)の嘘を、殆どの人々が信じている。日本人の全面否定、頑なな否定、拒絶反応は、武疫(WUHAN VIRUS)が発生してより今日までの出来事の否定ではなく、事実の全面否定、拒絶反応なのだ。こんな国は世界でも日本しかない。
一例を挙げよう。昨年9月次のような記事が西側にあった。『日本はコビド・ワクチンが世界人口崩壊を引き起こすと警告する』。この記事は、日本全体が世界に警告しているかのような印象を与える。残念ながら、そうではない。また、『日本のメディアはこの問題に誠実に取り組み始めている』と記事がほのめかすような、日本のニュースメディア全体がmRNA遺伝子製剤接種について市民に警告しているわけでもなんでもない。それどころか、日本の報道の略ぼ全部は、mRNA遺伝子製剤への反対を不合理な恐怖、陰謀論、デマとして描き続けている。昨秋、日本の英字新聞の一つは、『専門家、反発の中、日本でのワクチン接種への不安を和らげようと動き出す』と題する記事を掲載したが、当然のことながら、十分に根拠のある不安を、啓蒙的な 〝専門家の意見 〟に反する不合理な恐怖として描いていた。描くことに注力していたぐらいの執拗さ、カルトさまで感じないわけにはいかなかった。なぜ日本人はmRNA遺伝子製剤について一億総キチガイ化、カルト化するのであろう。日本人の穢れへの病的なまでの拒絶反応、それでいてどこか間の抜けた清潔感の執着と因果関係があるのは間違いがない。彼ら日本人はmRNA接種、特に自己複製増殖型のレプリコンmRNAについて、反対の意見を持つ日本の専門家や研究者については誰の指図も申し合わせも要らず、個人単位で透明化する。彼らはmRNA注射が一般的に安全ではなく、効果もないという既存の証拠の山も漂白するか、透明にする。その代わりに、彼らは自己複製増殖レプリコンを、〝感染や症状の発生を数ヶ月しか抑えることができない 〟古いワクチンよりも優れていると賞賛している。間抜けなことに、〝数ヶ月しか効果がない〟というしれっとした告白は、明らかに旧型のmRNA接種の効果に関する多くの政府、メディアのメッセージと矛盾している。なんと哀れな 〝ワクチン〟を自分たちは射っていたのかについては誰もが触れてはいけない。宿替えの理窟がここに小さい片鱗だが現れているだろう。そして彼らは新しいワクチンを信じろと互いが互いを窺い、それが大丈夫なら移っていくし、どうもまとまらないなら、そこにじっとして、世界が自分たちと全く異なる状況になっている場合、触ってくれるな、黙っていろ、聞きたくもないとばかりの威嚇をしながら、真っ暗な中をゆっくりと宿替えのため蠢き移動する。〝でもー隊〟〝ぱくり万札〟〝ポカ凡+〟〝オガモチ・タイムズ〟〝おれはすげーの亭〟〝うがわ食堂〟〝ヨタ系あおちゃん〟などを始めとする市井の一般人メディアを観察していればより、幼稚な彼らの宿替えの生態を通して日本人のマンタリテを観察できるはずだ。
日本の主要ニュース・メディア(特に政府出資のNHK)がmRNA遺伝子製剤接種に関連した報道をするときは、決まって、接種を宣伝する。不安や恐怖を和らげるための報道であるかのように。コンセンサスを重視する日本人は少数派になることを極端に恐れ、忌み嫌うので、mRNA接種者の人口比率を多く見せるという戦術をよく使う。安心させるためならなんでもやる。外出制限、集団接種、マスク強制の時間に比べれば随分と沈静化したとは言え、日本での一般的なヒステリーは続いている。このことは、マスクをせずに日本旅行をしている世界の旅行者が伝えている、日本人の二重人格の一面の豹変が物語っている。日本人たちは、武疫(THE WUYI PANDEMIC)における多くの再考、批判的検討を許さない。そのような考え直すという意識を、武疫(WUHAN VIRUS)のみならず、あるとあらゆることに持たない。それどころか、メディアに登場するコメンテーターたちは、現在の日本インフレや経済的苦境がすべて武疫による災害を意味する『コロナカ』の一部と表現し続けるだけだ。病気は経済には感染しないが、彼らは感染するものと信じていたい、信じ込むのである。込むのが殻の部分だ。日本のある放送局の朝の人気ニュース番組では、首長の武疫(THE WUYI PANDEMIC)への対応を手放しで称賛する出演者がいるのが当たり前で、指定席で何名かを出演させ、喋らせなければならない。また別の放送では、4人のメイン・アナウンサーが、最新のmRNA追加接種の話を取り上げる〝献立〟の口裏合わせのとおり、三人のアナウンサーが〝はい〟〝もちろん〟〝考え〟て接種を受けたと喋り、一人が(前回注射したとき副反応が出たので(絶対に副作用、拒否反応と言った言葉を使ってはならず、副反応という意味不明なコトバを使う)、まだ受けていません』と発言。この消極的な不安をどう和らげるかに、インタビューや専門家の解説が交えられ番組が進行する。私はこの一部始終を日本の民放幹部から直接聴いているので間違いもへったくれもない。多くの報道関係者の間では、日本当局主導のmRNA接種政策は〝大成功〟だったと喧伝されているようだが、実際、mRNA信奉者からすれば〝大失敗〟だった。政府が公式には人々に注射を強制しなかったこと、豪州で起こったような感染者(PCR検査で陽性と判定された)への強制注射、良心的忌避者を収容所に入れるという弾圧手段をとらなかったこと。本来ならせめてもの救いだったのだが、そのような評価の雰囲気ではないままだ。
Gaijinがしばしば指摘しているが、日本では同調圧力や順応性が異様なほど高いため、当局は強力な法を必要としない。企業、学校、そのほか諸々膨大なセンターが、注射を射ちましょう、マスクをしましょうと言い出すだけで、それらが守られているかを相互監視する雰囲気が出現、店が開いているか閉まっているかまでパトロールし始める。群衆を駆り立てる。このようなミズノミの性格。落ち武者狩りは連綿として日本人に現れる。日本に永く棲むGaijinの一人は『無作為に選ばれた二人のあめりかじんにピッツァのトッピングについて同意させるより、東京に住むすべて日本人にお揃いのオシキセを着させることの方が簡単です』と評している。
日本当局がマスク着用を義務付けてから、かなりの時日が経ったが、日本ではマスク着用が武疫(THE WUYI PANDEMIC)前からありふれた光景だった。マスクは至る所にあるのが日本で、もしも武疫(THE WUYI PANDEMIC)を世界が経験していなかったなら、たとい手頃な予算で観光ができると言っても、あのような数の旅行客が世界から押し寄せることはなかっただろう。私たちに多少のなりともマスク免疫がついたからだと私は考える一人だ。なにしろ武疫(THE WUYI PANDEMIC)前の日本への旅行者は異口同音に薄気味悪い言っていた。飲食店やコンビニの店員はたいていマスクをしているが、中にはマスクをしていない人も映像には見受けられる。一般市民と接する各級政府関係者は常にマスクをしている(つい先日までは、彼らは透明なビニールシートを挟んで一般市民と対していた)。公共の場では、少なくとも半数の人が屋外でもマスクを着用している。高齢者の数も多い。ユーチューブなどの映像には医師がいまだにマスク着用を勧めているのを見かけるが、マスクが効果的でなく有害であるという証拠はたくさん蓄積されている。地方から世界に向けて発信されている地元放送のニュース映像には、どの病院でも敷地内では全員マスク着用が義務付けられている。医師や看護師がマスクに加えてフェイスシールドを着用しているところもある。これはおそらく武疫(WUHAN VIRUS)感染を防ぐためだけでなく、麻疹、SRV、インフルエンザなど他の病気による感染を防ぐためでもあるのだろう。そしてここにも穢れの伝統が脈々と伝っていることを私は鑑定する。嘔吐を繰り返す急病人からマスクを外す外さないでもみ合うシーンを観た私を支配したものは、強烈な違和感であり、日本には行きたくとも行かれない国なのだと改めて、膚が拒む感覚を覚えた。
このようなことが起き続けて行く単純な理由は、日本人は一般的に政府、医師、主要なニュース・ソースを信じているからだ。またそれらを安易に信じるなと謳うソースも信じているからだ。我がAmericansや、欧州各国多くの人たちが、ニュース・メディアを全く信用しなくなったのとは正反対に、日本では殆どの人間がメディアを信じ続ける。だから、私たちから言わせると、日本や韓国が北朝鮮や中国のメディアと人びととの関係を、論い、蔑むのを聴くたびに、目くそ鼻くそをわらうや、猿の尻嗤いとはよく云い当てたものだと膝を拍つのである。それらの報道は、武疫(WUHAN VIRUS)や、麻疹、SRV、pdm 09(2009年に大々的に発生した豚インフルエンザの再流行株で、pdmはパンデミックの略)などの他の病気について、絶えず恐怖を煽っている。その多くは、CNNやジ・ニューヨーク・タイムズなどの情報源から無批判に引用された、二次入手の怪しげな内容である(もっと始末の悪いことに、それらメディアに騙されるな、自分たちの報道を、『さあさあ、お立ち会いだよ、お立ち会いだ、見て行きねえ、聴いて行きねえ』と人招く、〝でもー隊〟〝ぱくり万札〟〝ポカ凡+〟〝オガモチタイムズ〟〝おれはすげーの亭〟〝うがわ食堂〟〝ヨタ系あおちゃん〟が三次、四次入手のもっと怪しげな内容を配り歩き、それを信じる者が何万、十万という災厄の連鎖が上書きを繰り返してしまっている。だがそのような日本でも、世界との乖離がここまで開けば、危機意識が働き出しもする。このままでは矛盾によって自壊し続ける延々に陥ってしまうからだ。畢意、mRNA懐疑論者、医学医療界の反大勢派が、メディア、当局の語り口に異議ありとの声をあげ続けているし、そればかりではない、世界の学会で査読付き研究報告を行い続けている。
そして昨年9月。到頭、明治製薬社員が匿名で出版した、『私たちは売りたくない』で、日本人たちは貝になってしまった。誰もがもうこの話題に触れてはならないことになった。宮台真司氏も寺島実郎氏にも面子が発生した。彼らは嘘を堂々と自信をもって言い切っていたからだった。日本人にこれほどの汚名はない。面目を失うな――のヒラメ、キョロメが彼らにブーメランで戻っていき魅こまれた。彼らも黙った。それが彼らが日本人である証據を皮肉にも、私たちGaijinに見せた。この本の内容より題名が宿替えしようとしていた日本人を震え上がらせ、縮みあがるほど衝撃だったのではないかと私はおもっている。
この本の中で、明治製薬の社員たちが、自社の製品である、自己複製増殖型レプリコンmRNA操作製剤を売ることに、どれほどの嫌悪感、罪悪感を抱いているか、それが犯罪行為にほかならないこと、日本人が日本人をどうして死の淵に、苦しみに追いやらねばならぬのか、社員の一人が、通常のmRNA遺伝子製剤を接種した直後に死んだことについても触れ、それよりも〝格段に向上した〟mRNA遺伝子製剤。撃ったら最後、体内で死ぬまで、死ぬために遺伝子が勝手に組み替えられ、遺伝子情報が、スクリーン壊れたiPadのように勝手に誤作動を、上書きを繰り返していく状態について細叙。mRNA接種に於ける数多くの問題が説明された。それもまた、日本人には耐え難かったのだろう。すべてが貝になった。一切に触れてはいけなくなった。不幸はその際に現れた。ゆくゆく日本は運命の神に背を向けられているのではなかろうか。このようなタイミングの悪さに、高速増殖進行ガンによる死が急増し始め、子どもたち、若い人たちが、有名無名遠縁隣人問わず急逝、突然死し始めている。だがよりいっそう頑なになった日本人は、この窮地さへも触れてはならないの頑なさに狂いを通り越し、無痛覚に行ってしまった感がある。
多くの日本の医学研究者が、mRNAの大災害についての研究を発表し続けている。レーニンが故国ロシアに戻ったあの封印列車よろしく、日本では透明化、黙殺される研究が私たち世界では衝撃的な警告として受け取られている。中小企業を対象としたある研究で報告者らは 『mRNA接種者における、Wuhan Virus(COVID-19)感染確率が高く、mRNAの接種回数が多ければ多いほどエスカレートする』と指摘している。別の研究で研究者たちはmRNA接種と日本における或る種の癌死亡の急増との間に明らかな関連性を発見し、アンガス・ダルグリーシュ碩座のような癌の専門家による観察と予測を立証することを得た。これらは数多くの研究、慶応大や先日の宮城ガン・センターの取り組みなど、数多くのこのような知見は日本国外においてのみ広く報道され、おそらく世界では、冒頭のように、さも日本と日本人が率先して、mRNA遺伝子製剤の大災厄と自国と世界、人類にもたらす破滅的影響について警告を発し、日本がmRNA災厄に反旗を翻す急先鋒一つであるかのような誤解を作っている。彼らは封印飛行、封印電波によってのみ発信できているだけなのである。
日本では保守的な人々もリベラル、左寄りの人々も、そうでない人もグローバリストが推進する、〝コロナタイサク〟によって、日本が再生困難なダメージを受けていることに気づいていない。だが、日本に僅かに残った理性は、真実を報らしめるために孤軍奮闘の闘いを続けている。世界的に言論の自由が拡大したおかげで、彼らから学ぶ者はさらに増えている。日本人の大半が間違った選択をしてしまったために、誰もが面子と面目を守る倒錯にはしってしまい、復元力が作動できないばかりか、作動をあの手この手で妨害し、すべてをなかったこと、通り過ぎる、うち過ぎる先送りで、徐々に面子、面目の恐怖が薄れつつ、復元を誰かが作動し始めるだろうと、日本人は互いを窺っている。だが今回はこれまでと全く違う、すでに体内では遺伝子が勝手に組み替えられ続け、遺伝子情報は上書きを続ける誤作動を止める手段がどこにもない。そのようなことをこれまでがそうだったからと言って、なんとかなるさの次元ではないのである。今日どれだけの高速増殖進行ガンによる疑いの極めて高い死が報告されていることを日本人は識っているのか?。日本の穢れ恐怖症が自ら命運を閉ざす」-0-
「私が日本の穢れ恐怖症というそれまで感じていた日本人との交際の中で感じていた彼らの特徴についての体験を概念化できたのは、『東京漂流』に出会ったからだった。この労作は、丸山健二氏の作品と並んで、私の一九八○年代世代とその申し子たちが陥れる日本の予告書、黙示録となった。東京銀座の路上で売られていた、ネパールの民芸絵葉書に関心を示す子どとその母のやりとりを写した衝撃は私の脳裏に沈着して剥がれない。汚いという日本人的感情は老臭や死の穢れなど上へも下へも漂白し透明化して行くが、それはどこか神経症的な執拗さ潔癖さと背中合わせの間抜けさを私極印した。その究極の日本人神経症が武疫(WUHAN VIRUS)への穢れ感と、この穢れを真っ白に漂白してくれるmRNA遺伝子製剤に現れたからこそ、日本人は梃子でもこの勧白懲穢から動かぬのだろう。そう思いつつ、長文となってしまったが、穢れ恐怖症の行き着く先について記した」-0-
And that’s the way it is.